
岡田爽鵬
私と詩吟
私は子供の頃から歌が大好きでした。テレビの無い時代ですのでラジオから流れる歌や映画の中の歌謡曲を、一生懸命に覚えて歌うのが三度の飯以上?に熱中していたものです。
そんな中に歌謡曲とは違う節の歌がありました。「鞭声粛々う~」とか「南鶴ヶ城を望めば~」とか「疾きこと風の如くう~」などでした。子供心にいい声だな~、いい節回しだなあと思っていました。後にそれは詩吟というものであることを知りましたが・・・。
歌もスポーツもやり、少しの勉強もして明治大学に入学し初登校すると、いろいろな運動系や文化系のクラブがあり、新入生の争奪合戦が行われていました。そんな中に詩吟部がありました。子供心の感動に突き動かされて私は詩吟部の部室に行き、即決で入部届を出し、新入生にも拘らず新入部員の勧誘活動の手伝いをすることになりました。それから四年間、詩吟部の活動にどっぷりはまり、詩吟部で鍛えた大声と、はったりで就職活動も乗り切り無事に大学と詩吟部を卒業することが出来たのでした。
卒業後は右肩上がりの日本経済の歯車の一つとして朝から晩まで働きました。詩吟を思い出すのは、詩吟部のOB会の行事に参加する時ぐらいでした。そんな私も五十四歳となり勤務先本体の定年退職が間近になったころ、詩吟部後輩でずっと朝翠流で詩吟を続けていて少壮吟士を目指しているWさんから猛烈なお誘いを受け、朝翠流の教室に入会させて頂き第二の詩吟人生が始まる事となりました。馬鹿みたいに大声で好き勝手に吟じていた学生時代の詩吟とは大違いの詩吟に当初はおおいに戸惑いましたが、なんとか朝翠流の鵬号「爽鵬」も頂き、財団やクラウンのコンクールなどにも挑戦させて頂くようになりました。
しかしながら、以来十数年、どのコンクールでも入賞の壁は厚く、高く、練習不足の現実を思い知らされて残念会の苦酒に悪酔いするのが常となっていました。
五年程前に、縁あって朝翠流四代目宗家・佐々木翠鵬先生の教室に入会する幸運に恵まれました。先生の熱く的確なご指導は、良いところは褒め、わるい所は丁寧に自らお手本を示して修正して頂く稽古の成果が徐々に身について、最近のクラウンでは、全国大会に進むことが出来る様になりました。そして昨年は決戦まで進みましたが十位以内に入れず、今年はシードで全国大会に出場させて頂き、とうとう決戦大会で入賞することが出来たのです。長い長い夢の実現でした。これは翠鵬先生を始め朝翠流朝翠会の皆様、そして大学詩吟部の先輩後輩、そしてエールを送り続けて頂いていたクラウン吟友会の先生方などのご支援の賜物と厚く厚く御礼申し上げる次第です。
これからはクラウン吟士の名に恥ずかしくない吟詠と人間形成の醸成、そして吟友会の使い走りに努める覚悟で御座いますので、何卒宜しくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
