令和7年度入選者寄稿文

原京岳

叔父と叔母と私と吟

「そろそろ生涯学習考えられよ!」富山へ帰省していた50代の夏の話です。叔父は地元で300人程の吟の会長でした。

暫く経った頃、私の住む相模原の吟詠教室の連絡先が書かれた手紙が届きました。「話してあるから一度伺う様に」と書かれていました。
叔父叔母の顔が浮かび、渋々ながら出掛けた公民館の一室、部屋には10人程の老若男女。先生の元、漢詩・短歌・俳句の練習をされていました。
初めて聞く短歌や俳句、「なかなかいいですね」と呟いたのが始まりでした。
叔父に報告すると「おお!そうか!年1回の全国大会に出られたら、”着物作ってあげちゃ”」と。着物につられ、師の志田先生から「言葉を大切に」と教わりながら夢中で過ごした数年後、全国大会の切符が取れ、”着物は?”と思いながらも吟じ終わり、誉められると思う私の顔を見るなり叔父は「あの声は駄目!裏声に言葉が薄っぺらで、死んでしまうがやぜ!」・・・と。
裏声が何かも、どうしたら良いか分からない私に、叔母は「声はお腹と下半身に力を入(い)るで、出してみられ!両手にペットボトル持って、又は両腕を引ってもらって、低い音から始めてみられ!」と。叔母の言うように4本から始め徐々に上げてゆきながら、地声の8本で出来る様になった時の嬉しさを叔父に報告。「声が出るようになった今日からスタートやぜ!頑張られ!!」と応援の言葉。
その後、自宅練習にはペットボトルが離せなくなりました。
そして2度目の全国大会、この声で聞いてもらう筈の会場には、叔父と叔母の姿はありませんでした。会の方から、出番が終わるまで”内緒”にし、録音して来ることを頼まれたという事でした。
その夜、二人共ベットから起き上がれない事を知りまして、泣けて泣けて心が張り裂けそうでした。声作りの大切さ、言葉の深い表現の大切さを教えてくれた叔父と叔母の無事を祈らずにはいられませんでした。

あれから20年、2人が言った通り、私にとって吟は文字通り、生涯学習となり、「吟道まっしぐら」の私です。
「叔父さん、叔母さん、吟をありがとうございました。」
幸運にも憧れのクラウン吟士になれた事を今は亡き二人に報告。
「頑張ったがやね!今度こそ着物作ってあげちゃね!」そんな声が返ってくる気がします。