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梅原玉晢
詩吟への思いなど
詩吟というものがあることは幼いころから知っていた。身近に取り組んでいる者があったわけではないが、「鞭声粛々~」と聞こえてくることがあった。
年が経った。齢60、定年退職を迎え、新たな生活の日々が始まった。そんな日が半年ほど続いた頃、詩吟の教室を訪れることになった。詩吟へのお誘いはそれまでも何度もあり、その度に固辞していたのだが、断ることができない事情が出来していた。
教室には地域の方々が10名も並んでおいでだった。先生の指導の下、体操をしたり発声練習をしたり、学んできた吟を披露し合ったりしておいでだった。まだ尻込みする自分を意識していた。が、すでに私に選択権はなかった。流派で一番若い会員が誕生した。
「選択肢がないのなら頑張るしかないでしょ」、そう思った。よんどころない事情のほかは教室を休まなかった。先生からいただいた題はできる限り早く暗記して稽古に臨むように努力した。古典に親しむことには抵抗がなかったので、内容の勉強もした。そんなこんなで、最初は抵抗のあった、訓読文に節をつけて歌うことにも抵抗感が薄れてきた。と、いうよりも割り切った、詩吟とはこういうものなのだ。詩吟の手ほどきを受けて2年ほど経った頃のことだったと思う。語るということや節回し、声の出し方を意識するようになったのも、それからのことだった。
幸いなことに、身近にクラウン吟士がおいでになり、吟詠を聞かせていただく機会があった。また、短い時間ではあったが、合吟の稽古で直接ご指導をいただけもした。憧れて聞いていた方のご指導は新鮮であり、説得力をもって私に迫った。よい経験となった。
クラウンの大会に初めて出場したのは今から3年前、第49回の大会、詩吟の教室に入れていただいてから7年目のことだった。二代宗家のお考えに、様々に発表の場を求めて精進せよということがあった。そのお考えの下、数名の会員と共に挑戦を決意したのだった。
クラウンの大会要項に「短歌の部」があった。教室等で私の身辺では短歌の吟詠を聞くことはほぼなかった。どんなものか知りたいと思った。先生が吟じて下さった記憶はうっすらとはあったが、鮮明ではなかった。そんな中で聞いた大会での吟詠に、なんともいえない安心を感じた。大和言葉が節回しとよく響き合っていたことに魅かれたのかもしれない。自分でも取り組んでみたいと思った。次の年、第50回大会には、二代宗家会長にお願いして、短歌の部への出場を認めていただくとともに、ご指導いただくことができた。
この度、思いもかけず入賞の栄を得て、身に余ることと震えている。大勢の方の前で吟を披露するなど、そんな力のある身ではない自覚がある。今後一層精進して少しずつでも力をつけて行かなければと思っている。漢詩であっても短歌であっても、詩吟は詩の心を歌うものだと思う。作品の言葉一つ一つをきちんと受け止め、咀嚼し、全体像を明確に持って表現することに努めていきたい。これからも、多くの皆様にご指導をいただきながら精進してまいりたいと考えている。どうぞ、よろしくお願いいたします。