
三浦欧泉
たまみかがかざれば〜
思い起こせば、子どもの頃、祖母から初めて習った詩吟が「玉磨かざれば」でした。
幼少期に家族と祖母とドライブに出かけ、渋滞にはまるとその時とばかりに祖母の「詩吟タイム」が始まりました。どういう意味かもあまり良く分からず、ただ言われるがまま口伝えに習っていた気がします。時々祖母の通っていた詩吟教室に顔を出して、その吟をなんとなく歌っていたのを覚えています。でも、それは詩吟が好きで参加していたという訳でもなく、ただおばあちゃんに会いたい、会ったらご飯をご馳走してくれる、と言う事だけで参加していました。
それから大人になるまで無縁だった詩吟ですが、気がついたら父が詩吟を始めていて、それが何やら本格的にやっていたのです。単身赴任を終えて帰った父は、毎日のように練習して、そのうち詩吟教室を始め、母まで練習するようになり、私にとってはうるさくて仕方がない雑音でしかありませんでした。何度も詩吟やってみる?と誘われましたが、全くその気になれず、その騒音の中で暮らしていました。しかしだんだんその生活にも耐えられなくなり、うるさい!と私としては我慢の限界でした。でも、それだけで家を出て行くわけにも行かず、それならば自分がやるしかないと諦めがついたのが、20代中盤でした。
父が師匠。初めは、それも私にとって大きなハードルでした。親の前で大きな声を出す、歌うというのは、恥ずかしくて、とにかく嫌だったのです。でも、父は、なんとも褒め上手で、あれ、私上手なのかしら?と勘違いから、ずるずるとこの世界に足を踏み入れてしまったのでした。そして、ただの騒音にしか聞こえていなかったものが心地よく感じるようになり、教室に参加してみたら楽しかったので、会社の同僚を誘い、そのお教室が一つできた程でした。
それから何年経った事でしょう。その褒め上手だった師匠は始めだけで、いつの間にか褒める事はほとんどなくなり厳しい師匠に変身していました。稽古中の父は厳しいし、大会に出るとド緊張して、なぜ申し込んでしまったのか…と毎回後悔するほどでした。
でも、大会や発表会の後にはお教室のみなさんとの楽しい打ち上げがありました。老若男女、会の方と和気あいあいと楽しい時間を過ごす事ができ、それが楽しみの一つであったのも私が詩吟を続ける原動力でもありました。
でも、なんと言っても私が詩吟をここまで続けてこられたのは家族のお陰でした。
気がついたら家族全員で詩吟をしていました。
両親、弟家族、そして私と娘。
師匠である父は、私の遅い上達にも懲りずに辛抱強く指導を続けてくれしました。そして、母はいつも陰ながら父、お教室、そして私達を支えてくれました。忙しい父と私のスケジュールを調整して練習する時間を見つけてくれたり、大会などのスケジュール管理を常にサポートしてくれました。
お腹の中にいた時から詩吟を聞いていた娘も、今では一緒に大会に出て切磋琢磨する仲間です。最近では私が大会で出る時は色々なサポートまでしてくれます。
弟家族もお嫁さんの協力の元、弟が娘達に詩吟を教えながら頑張っています。
弟は10年前にクラウン吟士になり、私は弟の後輩になりました。弟は忙しい仕事を縫いながら、リサイタルに出たり、大会のお手伝いをする姿を見て、私には遠い遠い世界だと思っていましたが、私もこの度その一員に選んでいただきました。
私にとって家族の支えなしにはここまで成し遂げることは到底出来ませんでした。お互い支え合い、時にはライバルになり、家族共通の趣味「詩吟」と出会えたことに感謝しております。
詩吟は長い間続ける事が出来、年齢によって味わいが変わり、その人からにじみ出る魅力を声に変えて表現できる物だと思います。「詩吟」を知らない人にとっては、とっつきにくいものですが、いざやってみると奥が深く楽しいものであるという魅力を伝えていきたいと思います。仕事、家庭と子育てをしながらですが、これからも頑張っていきたいと思います。
三浦欧泉様の入賞寄稿文につきまして、一部のみの掲載となっておりました。現在は全文を掲載しております。ご本人様並びに関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。