荒井積水
私のコンクール人生
この度「クラウン吟友会」に入会させていただき、改めて詩吟人生を振り返る機会を与えて頂きました。
昭和五十年、岳精流日本吟院に入会。自分の会社を立ち上げて間もない時期でもあり最初の十五年間は籍を置いているだけでした。平成元年、教室を持ったものの生徒さんは女性ばかり。声の高さも1本しか出ませんでした。「それよりも詩吟そのものがよくわからなかった!知らなかった!生徒さんにどの様に接したら良いのかわからなかった!」無我夢中、手探り状態でした。
我が岳精流吟院宗家・横山精真先生がご自身の若かりし日々の体験談として、「指導者は指導ではなく、伝道・伝達であり共に学ぶにあり」と新しく教室を持とうとしている者達に説いておられる。三十年前にこの教えに出会っていたら良かったなあ~、とつくづく思っております。
手探り状態の当時、解決策の一つとして試みたのがコンクールに挑戦することでした。
最初の十年は全て予選落ち、その後予選通過、全国大会にも十数回出場は出来たものの
全て敗退! 今回の「コンクール決選大会」の前後十日間はコロナにでも罹ったかと思われる位に、体調を崩し前日は全く声も出なかった。その様な不調の中、やれる範囲で頑張るしかないという思いで決戦に臨んだ。体調が悪いが故か不思議と吟に集中出来ました。
緊張することも、力むこともなく平常心で舞台に立っていた。何が幸いするかわからない。 数年前の決戦大会の折、11位に終わった私に「とても良い吟でしたよ、自分も同じ吟題で入賞したんです」と、声を掛けて下さった先輩吟士。その励ましの言葉を思い出し、今回はその時の吟題「後夜仏法僧鳥を聞く」で再挑戦しました。
岳精流統はもとより、詩吟を教えてくださった全ての皆様に感謝を申し上げ、クラウン吟士の何に恥じないように、更に精進してまいります。