令和6年度入選者寄稿文

山田裕司

詩吟と私

 詩吟と私との出逢いは、大学時代に遡ります。「日本の伝統文化」と「インドのサンスクリット文学」に興味をもち、入学した大学に「吟道部」があり、わずか2ヶ月間だけですが所属し、そこで初めて「詩吟」と出逢いました。
「山川草木 転た荒涼…」乃木将軍がつくられた「金州城下の作」を先輩方が詠われていたのが詩吟との出逢いでした。私はその瞬間、自分が学びたかった「大和魂」を感じ、肩が一瞬ぶるぶる…と震えたのを覚えています。詩吟を学びたいという思いはあったのですが、アルバイトもしなければならないこと、門限のある大学寮も出ることになり、吟道部も退部してしまいました。
 それ以降、大学卒業まで、家庭教師など複数のアルバイトをやり続け、無事に卒業することはできたのですが、「詩吟」をやりたい…学びたい…という自分の思いは、いつしか心の奥にしまい込んでしまいました。卒業論文は詩吟で感じた「大和魂」にこだわり、英訳「古事記」を研究題材にし、外国語に訳すことができない「大和ことば」を研究し、『すがすがしい』という言葉の英訳にたどり着けました。
 卒業後、金沢に戻り、石川県立図書館に勤務し、その後、小学校教員の道を歩み、定年退職まで勤めました。その間、いつか「詩吟」を学びたい…という気持ちは心の奥にあり、仕事も軌道に乗り、少し余裕が生まれた30歳を過ぎた頃、「吟道錦城流」の前田錦和先生に出逢い、前田先生の教室に一年間通い、詩吟を教えていただきました。しかし、仕事の多忙さを言い訳に、稽古に行ったり行かなかったりで、温かく熱心に声をかけて下さった前田先生には本当に申し訳なかったです。その後、教育委員会に勤め、管理職になり、益々多忙を極め、ずっと詩吟から遠ざかってしまいました。
 定年退職を機に、時間的にゆとりが生まれ、自分の人生を振り返って、やりたかったことを少しずつやり始めました。自宅のリフォーム、ガーデニング、本やCD、レコードの整理、そして、ずっと心の奥にしまい込んでいた「詩吟」を学びたい!一度きりの人生だから、もう一度挑戦したい!と強く思うようになりました。そして、2年前に「白鳥吟詠会」の北瀬岳櫻先生に出逢う大きなご縁をいただくことができました。それから、北瀬先生のご指導の下、ずっと学びたかった詩吟を吟じれることに感謝して今日に至っております。
 これからも、一つ一つの「詩吟」を大切に学び、愚直に吟じ、「一吟洗心」…心を磨くことを忘れずに歩み続けていきたいと願ってます。