令和5年度入選者寄稿文

三浦欧泉

たまみかがかざれば〜

思い起こせば、子どもの頃、祖母から初めて習った詩吟が「玉磨かざれば」でした。

幼少期に家族と祖母とドライブに出かけ、渋滞にはまるとその時とばかりに祖母の「詩吟タイム」が始まりました。どういう意味かもあまり良く分からず、ただ言われるがまま口伝えに習っていた気がします。時々祖母の通っていた詩吟教室に顔を出して、その吟をなんとなく歌っていたのを覚えています。でも、それは詩吟が好きで参加していたという訳でもなく、ただおばあちゃんに会いたい、会ったらご飯をご馳走してくれる、と言う事だけで参加していました。
それから大人になるまで無縁だった詩吟ですが、気がついたら父が詩吟を始めていて、それが何やら本格的にやっていたのです。単身赴任を終えて帰った父は、毎日のように練習して、そのうち詩吟教室を始め、母まで練習するようになり、私にとってはうるさくて仕方がない雑音でしかありませんでした。何度も詩吟やってみる?と誘われましたが、全くその気になれず、その騒音の中で暮らしていました。しかしだんだんその生活にも耐えられなくなり、うるさい!と私としては我慢の限界でした。でも、それだけで家を出て行くわけにも行かず、それならば自分がやるしかないと諦めがついたのが、20代中盤でした。

父が師匠。初めは、それも私にとって大きなハードルでした。親の前で大きな声を出す、歌うというのは、恥ずかしくて、とにかく嫌だったのです。でも、父は、なんとも褒め上手で、あれ、私上手なのかしら?と勘違いから、ずるずるとこの世界に足を踏み入れてしまったのでした。そして、ただの騒音にしか聞こえていなかったものが心地よく感じるようになり、教室に参加してみたら楽しかったので、会社の同僚を誘い、そのお教室が一つできた程でした。

それから何年経った事でしょう。その褒め上手だった師匠は始めだけで、いつの間にか褒める事はほとんどなくなり厳しい師匠に変身していました。稽古中の父は厳しいし、大会に出るとド緊張して、なぜ申し込んでしまったのか…と毎回後悔するほどでした。

でも、大会や発表会の後にはお教室のみなさんとの楽しい打ち上げがありました。老若男女、会の方と和気あいあいと楽しい時間を過ごす事ができ、それが楽しみの一つであったのも私が詩吟を続ける原動力でもありました。